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更新日:2024年1月10日
大里町内倉地区の郷有墓地の中に、頂部のとがった角柱状の墓塔が建っています。
この地域を治めた鈴田道意の墓と伝えられています。
鈴田道意は、越前守純種と称し、大村家15代大村純治に仕え、鈴田村を治めていました。
文明6年(1474年)島原の有馬貴純が大村領に攻めて来た時、道意は純伊軍の第三軍の大将でしたが、突然味方を裏切って大村側を攻撃したため、大村側は敗北し、純伊は加々良島に逃れたといわれます。
その後、文明12年(1480年)純伊は大村領を取り戻すため、彼杵の島田の浜に上陸し有馬側を攻撃しました。このとき、道意は中岳合戦の時の裏切りを後悔し、有馬の武将を討って、大村側へ降り、純伊に面会を許されました。
この墓は、大村でも数少ない戦国時代の武将の墓として市指定史跡となっています。
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