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更新日:2024年1月10日
須田ノ木町の吹き上げ墓地の中に、「槐窓翁の塚」と刻んだ大きな自然石の墓が建っています。これは江戸後期に活躍した俳人、川原悠々の墓です。
悠々は大村藩士で、元治・槐窓・樗山などの名で呼ばれました。安永5年(1776年)千綿村に生まれましたが、幼くして父と死別し、上小路の緒方家で育てられました。藩校を卒業し、享和元年(1801年)江戸の藩邸にいましたが、病弱のため郷里に戻りました。
まもなく千綿村横目役となり、文政2年(1819年)代官を命ぜられ、彼杵・千綿・江串を支配しました。京都の呉服商であり、俳人として有名な寿堂が訪れたのがきっかけとなり、初めて俳諧を知り、自らの生きて行くべき道を発見したのです。
天保4年(1833年)10代藩主純昌の子、伊織・弾正の傅育係りを命じられ、江戸に再び上がり、数年住みました。そこで、梅室・蒼虬ら一流の俳人と交わり、日夜俳句の道に励んで「荻苞集」を著しました。これにより名声が上がり、俳句の師として天下に知られるようになりました。
天保8年(1837年)大村に帰り、隠居し、木場の自宅「槐窓庵」で俳句にいそしみました。
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