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更新日:2024年1月10日

中岳古戦場の跡

  • 大村市指定史跡
  • 所在地:大村市中岳町

南川内に通じる市道の道沿いに、「長岡越前・庄左近太夫」の名を刻んだ墓があります。合戦場は、この墓をはさんだ水田地帯でした。有馬氏が、本陣を構えた飯盛山は、南方の山地にあります。
大村家の史料によると、文明6年(1474年)島原半島有馬を本拠とする有馬氏の勢力が次第に強くなり、有馬貴純が大村に侵入して来ました。16代の大村純伊は、急いで萱瀬の鳥甲城に陣をつくり敵を待ちました。12月下旬2,000人余りが諫早の本野を経て飯盛山に陣をとりました。これに対し、大村軍は700人が陣を構えました。第一陣が右に長岡越前の率いる150人、第二陣が左に庄左近太夫の兵120人、第三陣が中間に鈴田道意の兵200人、第四陣の純伊が一番背後につき、230人の構えとなりました。戦いは大変な激戦でした。しかし、突然、第三陣の鈴田軍が裏切って味方の背後を襲い、一、二陣はみんな戦死しました。純伊はもうこれまでと思い突撃しましたが、大軍に囲まれ、あわや戦死と思われたとき、数人が切り抜け、川を渡って郡岳に逃れ、その後6年間流浪したとあります。

中岳古戦場の跡

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