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更新日:2024年1月10日

深澤儀太夫勝清の墓

  • 大村市指定史跡
  • 所在地:大村市武部町(長安寺内)

深澤儀太夫勝清は武雄の渋江氏の一族として生まれ、波佐見の中尾に移り住み、当時の名を中尾次郎左衛門といいました。
30歳の頃、武者修行の旅に出かけ、紀州(和歌山県)の太地浦の鯨捕りに魅せられ、鯨捕りの技術を学びました。3年後帰郷し、藩に願って鯨組を作り、九州の鯨捕りの草分けとなりました。鯨は捨てるところが無いほど利用でき、一頭で莫大な利益が上がりました。その頃、九州近海は鯨の宝庫で毎年豊漁が続き、儀太夫はまたたくまに大金持ちとなりました。
彼が偉大だったことは、その金を社会のために役立てたことです。神社や寺院の新築や修復、新田や多くの堤を造りました。その中で最大の事業が野岳湖の造成でした。このような功績から、藩主から深澤姓を賜り儀太夫と改名しました。
儀太夫の墓は、郷村記によると前船津にありましたが、後に建て直され、長安寺に建てられています。

深澤義太夫の墓

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