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更新日:2022年11月11日
この牢には、元和3年(1617年)7月から元和8年(1622年)9月までの5年間、長崎奉行所に捕えられた宣教師や信者35人が閉じ込められました。宣教師が残した記録によると、非常に狭い間隔の柱で囲まれた鳥かごのような牢屋で、奥行6.6メートル、間口4.6メートルという非常に狭い造りでした。この空間に多いときで33人もの人が入っていましたので、横になることはもちろん身動きさえも自由にできなかったといわれています。牢屋の周囲には、2重に柵が設けられ、扉には2重の鍵がかけられていたということです。
この牢に閉じ込められた人々のうち、2人は牢内で亡くなり、スピノラ神父ら25人は長崎の西坂で殉教し、元和の大殉教と呼ばれています。また、フランコ神父ら8人は大村の放虎原で殉教しました。
大村市陰平町1821番地
JR大村駅から車で約15分
長崎自動車道大村インターチェンジから車で約20分
長崎自動車道木場スマートインターチェンジ(ETC専用)から車で約6分
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