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更新日:2024年3月7日
上小路の呼び名は、古来、この付近の地名を尾上(おのうえ)といっていたので、初め尾上小路と称していましたが、後に略して上小路(うわこうじ)と呼ぶようになりました。本小路ほどではないものの、針尾家や浅田家などの家老屋敷も多く、重臣の屋敷が多かったようです。幕末には、斎藤歓之助が開いた剣術道場「微神堂(びしんどう)」もありました。
また、幕末にこの通りで起こった松林飯山(はんざん)の暗殺事件は、大村藩が勤王(きんのう)という方針を決定するきっかけとなった藩を揺るがすもので、一連の騒動は大村騒動(小路騒動)と呼ばれています。奇しくも、暗殺事件の被害者である針尾九左衛門と松林飯山の屋敷がこの通りの両端に位置します。
この針尾九左衛門屋敷を経て、往還路(長崎街道)まで、9町38間5寸(約1,050メートル)あり37戸の屋敷が続いていました。五小路としては、もっとも多くの屋敷が並んだ通りで、江戸時代の屋敷は姿を消していますが、通りに残る石垣群は、昔の武家屋敷街をしのぶ貴重な文化財です。
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