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更新日:2024年3月7日

三城城跡

この城は、日本最初のキリシタン大名:大村純忠が、永禄7年(1564年)、大村家の居城とした城です。純忠は、南蛮貿易港として長崎を開港し、天正遣欧少年使節をローマに派遣するなど、日欧文化交流の基礎を造った人物として有名です。

三城城は、現在長崎県忠霊塔がある場所を主郭とし、東側や北側に大きな曲輪(くるわ)を配し、さらにいくつかの小さな曲輪を配していました。この城は、この地に石垣で城を築く技術が入る前の城で、土塁や空堀によって周囲を囲まれた平山城です。城の遺構の多くが残されていることがわかり、戦国時代末の貴重な城跡となっています。発掘調査では、鉄砲の弾や茶道具、その他陶磁器など生活用品が出土しており、当時の城の様子が少しずつ分かりつつあります。

三城城での一番大きな戦いとして伝えられているのが元亀3年(1572年)の戦いです。この時、武雄の後藤氏、諫早の西郷氏、平戸の松浦氏の連合軍約1,500人が突然城を囲み攻撃をしました。しかし、城にいた7人の武将と女、子ども合わせて70余名の大奮闘と富永又助の活躍、郡村と萱瀬村の侍の決死の援助により大勝利をおさめたと伝えられています。この戦を、「三城七騎ごもり」といいます。

この城は、純忠の子、喜前(初代大村藩主)まで使われ、喜前の代には改修が行われました。しかし、慶長4年(1599年)に玖島城が築かれ、移ったことから居城としての役目が終わりました。

曲輪(くるわ):城内の平坦な区画。城の一つの区画。

三城城跡遠景の写真

中央の丘が三城城跡

三城城跡地の看板

所在地

大村市三城町

アクセス

JR大村駅からバスで約5分(本堂川橋バス停下車)、徒歩約10分

長崎自動車道大村インターチェンジから車で約10分

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