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更新日:2024年3月7日
小姓小路の南を通る小道、日向平武家屋敷跡には13戸の侍屋敷がありました。道の両側には畑や田地が並行し、三日干川(日向平川)が流れ、丘を越えると鈴田や三浦の山が望まれます。その道中にある中尾元締役旧宅は、文政9年(1826年)から中尾半兵衛の住まいとなりました。
半兵衛は、文化10年(1813年)9月、伊能忠敬が大村藩を測量したとき、手助けをしたといわれます。その子の静摩は、幼少のころ、大村純熈(すみひろ)の相手をつとめ、五教館、治振軒に学び、父と共に江戸にのぼりました。その後、大村藩に帰り、五教館の舎長・祭師、訓導を務め、また脇備騎士としても仕えました。
家屋は、当初120坪で、主な建物は殿様用の玄関、通用の玄関、勝手口、大広間、次の間などがあり、天窓も造られていました。その他、井戸や離れには土蔵もあり、東側には農耕用の納屋、馬小屋などがありました。
(現在は民家になっており公開されていません。)
大村市玖島2丁目
JR大村駅からバスで約10分(本小路バス停下車)、徒歩約5分
長崎自動車道大村インターチェンジから車で約20分
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