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更新日:2024年3月7日

浅田家家老屋敷跡

浅田氏は、大村家初代直澄に従い、大村に入国した七士の中の筆頭といわれた朝長氏の子孫です。代々重臣を務め、16代純伊に従って加々良島に赴いた右衛門太夫純俊、三城七騎ごもりで純忠を助けた大学純盛などがおり、純盛の子朝長久助は、文禄の役で武功抜群により、朝田と改名しました。後、浅田左門前安と名乗り、慶長4年(1599年)に乾馬場から現地に移り住みました。

左門は、3代藩主純信の教育係を務め、家老職600石となり、二男求馬之助に200石、長男三郎兵衛安昌に400石を譲りました。以来、浅田家は家老5人、城代5人を出し、特別の格式を与えられ、進五郎の時、明治維新を迎えました。明治以降は、岐阜医学校長の西川黙蔵氏が屋敷を譲り受けました。

郷村記によると、「敷地の表口の長さ33間5尺(約61メートル)、面積4反4畝23歩(約4,440平方メートル)」とあります。

建物は、明治の末に白蟻の害のため建て替えられましたが、15畳の座敷など建坪100坪余りあります。昔は21畳の座敷もあったそうです。石垣・塀・庭園の広大な屋敷は今なお、当時の面影が残っており、壮大さが偲ばれます。浅田家の家紋がある古い鬼瓦や、庭園の築山の陰にはマリア観音といわれる祠が残っています。

(現在は民家になっており公開されていません。)

浅田家家老屋敷跡の門の写真

所在地

大村市片町

アクセス

JR大村駅からバスで約10分(市役所前バス停下車)、徒歩約10分

長崎自動車道大村インターチェンジから車で約20分

よくある質問

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