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更新日:2024年7月18日
大村公園にある玖島城石垣の石一つ一つのNFTとしての所有権を、大村市ふるさと納税の返礼品としてお渡しします。
詳しくは、次の解説動画をご覧ください。
詳しくは、次のリンクをご確認ください。
NFTとは、「非代替性トークン」という意味です。「トークン」とはブロックチェーン技術を使用して発行した「暗号資産」の総称です。比較される「仮想通貨」は代替性トークンと言い、このNFTは唯一無二な資産的価値が付与されているものです。
なお、ブロックチェーン技術はデータの改ざんや不正利用が非常に困難で「安全にデータを記録できる技術」のことです。
玖島城築城の工事は、慶長3年(1598年)の末から始まり、翌年の慶長4年(1599年)に完成しました。この場所が選ばれた理由は、三方が海に囲まれ、敵から守りやすい海城をつくるのに適した場所だったからです。
慶長19年(1614年)に、2代藩主純頼が玖島城の大改修を行いました。改修については、加藤清正の助言を受けたといわれています。
この改修で、大手を南側に移し、大手門周辺は石を加工した「打ち込みはぎ」と呼ばれる方法で石垣を築きました。今も大手から板敷櫓の方に向かって美しい曲線をした石垣が残っています。城の中は本丸、二の丸、三の丸からなり、5つの櫓を建てました。本丸には天守はなく、藩主の館や藩の政治を行う御殿が置かれました。城のまわりには、堀を巡らし、海の中にも捨堀などを設けて敵が簡単に近づけないようにしました。
玖島城は一度も戦火にあうことはなく、明治4年(1871年)の廃藩置県によって役目を終えました。
穴門(あなもん)をはじめとした玖島城の石垣の一部では、長い年月の経過により、孕(ハラ)み出し(変形)や石材の割れ、樹木根の影響などが見られ、大雨や地震などをきっかけに崩落する危険性が高くなっています。
穴門の石垣は、変形が確認されてから、変位の観測などモニタリングを行ってきたところですが、落石の恐れがあることがわかったため、現在、周辺の立ち入り規制を行っています。
NFTを返礼品としたご寄附については、これら石垣の調査研究費として活用させていただきます。
今まで当たり前の風景として、そこにあり続けた玖島城の石垣を、今後も大切に保存するため、皆さまの応援をお願いします。
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