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更新日:2024年1月10日
菅無田橋の上手に、自然石の墓が建っています。この付近が菅無田古戦場の跡です。砦となった菅無田城は、背後の山手にありました。
戦国時代半ばの天正5年(1577年)12月、その頃西九州最大の勢力を誇る龍造寺隆信が、大村純忠が治める大村領を占領する目的で8,000人の軍勢を率いて、萱瀬へ攻め込んできました。純忠は今富城に兵を集め、守ろうとしましたが、萱瀬に住む武士達は、少しも手向かうことなく、自分達の村を敵に踏み込まれることに不満を持ち、300人が菅無田城にたてこもりました。
11日から始まった龍造寺軍の攻撃に対し、菅無田勢は懸命に抵抗しましたが、討ち死にを覚悟し、12日夕刻、一丸となって突撃して全滅しました。龍造寺軍も大損害で、とうとう大村占領をあきらめて帰ったといわれています。
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