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更新日:2024年1月10日
古賀島公民館一帯の地名を鰌山といいます。ここに北川次郎兵衛宣勝の墓があります。彼は松田道獣と名のり、鰌山の地名も彼の名がなまったものです。
北川次郎兵衛は10歳で伊達政宗に仕えました。文禄4年(1595年)19歳で政宗の家臣浜田家の跡を継ぎ、4万石を領しました。関ヶ原合戦後、伊達家を去り、豊臣秀頼に仕えました。このときに北川次郎兵衛と名を改めています。大坂夏の陣後、捕らえられ、元和2年(1616年)幕命によって大村家へ預けられました。
大村扇状地の扇央部は未開発で、遠くに水が乏しい西大村から竹松にかけての地は原野で、放虎原と呼ばれていました。大村家では幕府の罪人である次郎兵衛をここに住まわせました。
彼はここで40年間も開拓に励み、人々は開拓の恩人として道獣山の地名を残しました。
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