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更新日:2020年4月3日

深澤義太夫勝清

深澤義太夫の墓

深澤義太夫勝清は武雄の潮見城主渋江氏の一族として生まれ、波佐見の中尾に移り住み、当時の名を中尾次郎左衛門といいました。

30歳の頃、武者修行の旅に出かけ、紀州(和歌山県)の太地浦の鯨捕りに魅せられ、早速鯨捕りの技術を学びました。3年後帰郷し、藩庁に頼って鯨組を作り、九州の鯨取りの草分けとなりました。鯨は捨てるところが無いほど利用でき、一頭で莫大な利益が上がりました。その頃、九州近海は鯨の宝庫で、毎年豊漁が続き、義太夫はまたたくまに大金持ちとなり、全国でも指折りの長者になりました。

彼が偉大だったことは、その金を社会のために役立てたことです。神社や寺院の新築や修復、新田開きや多くの堤を造りました。その中で最大の事業が野岳湖の造成でした。このような功績から、藩主から深澤姓を賜り義太夫と改名しました。

また、本町には広大な屋敷を構え、その屋敷が大村宿の本陣に使われました。

義太夫の墓は、郷村記によると校区内の前船津にありましたが、後に建て直され、長安寺に建てられています。

 

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