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更新日:2020年12月22日

キリシタン大名大村純忠

天正遣欧少年使節をローマに向かわせ、当時世界最高の技術と知識を大村に持ち帰らせた先見の明の持ち主、大村家18代当主の大村純忠(おおむらすみただ)

戦国時代、島原の有馬家から養子として大村家に迎えられ、大村家を継ぎ領主となりました。周辺の戦国大名である佐賀の龍造寺氏、平戸の松浦氏、武雄の後藤氏などと争い、大村湾を取り巻く領土を確立していきます。特に後藤貴明は、大村家に生まれながら、純忠のために後藤家に養子に出されたため、終生、純忠に対して敵意を持ちました。

純忠は、貿易港として横瀬浦、福田、そして長崎を開港して南蛮貿易を行いました。また、キリスト教を受け入れ、日本初のキリシタン大名となり、日本初のヨーロッパ公式訪問団である天正遣欧少年使節の派遣など歴史に残る多くの事業を行いました。

純忠は隠居生活を送っていた坂口館で天正15年(1587年)55歳の生涯を閉じました。三城城下の宝生寺に埋葬されましたが、その後草場寺(教会)に移され、さらに本経寺に移されたと伝えられていますが、江戸時代の末期にはすでに本経寺には見あたらず、墓はどこにあるかわからなくなっています。

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