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更新日:2026年7月8日

令和8年(2026年)は、大村公園内に濱田謹吾銅像が建立されてから40周年を迎えます。
濱田謹吾少年は、大村市と秋田県仙北市との姉妹都市交流の原点となった人物です。この記念すべき節目の年に、少年の功績を顕彰し、両市の友好を未来へ受け継ぐため、吾往会主催による記念式典が開催されます。
令和8年8月22日(土曜日)
大村公園内濱田謹吾銅像前
吾往会(吾往隊ゆかりの姉妹都市親善交流を目的とする親睦団体)
慶応4年(1868年)、戊辰戦争の際、大村藩は秋田藩救援のため326人からなる北伐隊(吾往隊)を派遣しました。その第二番隊鼓手を務めたのが、当時15歳の濱田謹吾少年です。鼓手は、太鼓によって進軍や停止などの合図を送り、兵士を鼓舞する重要な役割を担っていました。
本来出征予定だった父重義が眼病を患っていたため、謹吾少年は父に代わり、自ら志願して出征。しかし、刈和野の戦いで銃弾に倒れ、15歳の若さでその生涯を閉じました。
謹吾少年を案じる母チカが詠んだ和歌は角館の人々の心を打ち、遺骨が帰郷するまで、角館の地で手厚く葬られました。
濱田謹吾少年の勇気と功績、そして両市の友好の証として、大村市と仙北市にはそれぞれ濱田謹吾銅像が建立されています。大村市の銅像は昭和61年に建立され、以来5年ごとに記念式典が開催されています。
明治14年、当時旧秋田藩主佐竹家の家臣・石黒織紀直信が大村を訪れ、濱田家を訪問したことが交流のきっかけとなりました。その後、市民や関係者による交流が積み重ねられ、昭和54年に大村市と旧角館町(現在の仙北市)は姉妹都市を締結しました。
現在も、記念式典への相互訪問や物産展などを通じ、交流事業が行われ、両市の絆は受け継がれています。
戊辰戦争に出征する謹吾少年を案じ、母チカは一首の和歌を詠み、その歌を少年の軍服の内襟に縫い込んで送り出したと伝えられています。
「ふた葉より手くれ水くれ待つ花は君がためにそ咲けよこのとき」
わが子を思い励ます門出の歌は、多くの人々の心を打ち、敵味方の区別なく謹吾少年を手厚く弔うことへと繋がりました。この出来事は、大村と角館(現在の仙北市)の人々の心を結び、現在の姉妹都市交流へと受け継がれています。




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