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更新日:2022年5月20日
本校は、大村市の中心部の南側、市役所前に位置する中・大規模校です。 |
現在では大村小学校内に移設され、入学式と卒業式、着任式と離任式の時だけこの門が開かれ、児童と保護者、教師がくぐることとなっています。我が校のシンボルです。
五教館は、大村藩が設立した藩校で、その起源は四代藩主大村純長が寛文10年(1670年)に、大村城内に創設した藩校集義館にさかのぼります。その特徴は、武士の師弟だけでなく、広く一般にも聴講を許した点にあります。
元禄7年(1694年)には静寿園と改められ、桜田(元大村公園桜田の堀付近)に移された後、学寮としての五教館、武芸場としての治振軒と、文武両道を学ぶ藩校として整備されました。
五教館の名称は、「孟子」の教えにより、「父子親あり、君臣義あり、夫婦別あり、長幼序あり、朋友信ありしむ」との、対人関係において守るべき五つの秩序を教育の基本としたことから名付けられたものです。
その後、入学者が増加し、従来の施設では対応できなくなったので、天保2年(1831年)に、現在の大村小学校の地に移転したものです。この時、武術を学ぶ治振軒(じしんけん)も同じ敷地内に建てられ、武芸の錬成にも力を入れました。
五教館は、文武両道の殿堂として、幕末・明治にかけて藩校としての使命を果たし、活躍した多くの人材を輩出しました。明治5年8月の学制発布によって、翌年館の一部を校舎として玖島小学校が創立されました。ここに、藩校としての203年の歴史を終えました。
この御成門は通称「黒門」と呼ばれ、藩主が来校した時の専用門として使用されました。五教館に付属していた建物のなかで、唯一残されている遺構として昔の時代がしのばれます。
(黒門:県指定史跡)
説明板の解説文(大村市教育委員会)
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