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更新日:2016年1月1日

1-8深澤儀太夫(ふかざわ・ぎだゆう)と野岳湖

平成23年3月時点の情報です。

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郷土の発展に貢献した鯨長者

捕鯨の技術を学び、莫大な富を築く

JR松原駅の近くから国道34号を山側へしばらくゆくと、右手に周囲およそ4kmの野岳湖があります。もとは溜池でした。サクラやコスモスなど四季折々に花が咲き乱れ、憩いの場所として親しまれています。

野岳湖は1年7カ月の歳月をかけて、寛文3年(1663)に完成しました。大村市内最大の人造湖であるこの湖を造ったのは、鯨長者の初代・深澤儀太夫勝清(2代・儀太夫勝幸も捕鯨業を営んでいました)です。初代・儀太夫は現在の東彼杵郡波佐見町で生まれました。

もともと武士だった儀太夫は、武者修行先の紀伊国太地(だいち)浦(現・和歌山県太地町)で捕鯨の技術を学び、大村に帰ってから鯨組を組織、棟梁として五島、壱岐などで捕鯨を行い、莫大な財産を築きました。

鯨は、肉は食用になり、骨は油をとったあと砕いて肥料にします。ひげ、歯、筋(すじ)などは細工用に使われます。鯨油は灯油用、食用、薬用になり、田の害虫の駆除にも用いられました。このように、かつて鯨はどこも捨てるところがないほど人々の生活に活用され、役に立っていたのです。

溜池の築造費用を提供

野岳村開発の一環として溜池の築造を計画していた大村藩は、4200両(現在のお金で数億円)もの莫大な工事資金をどうやってひねりだすか、頭を痛めていました。その資金を提供したのが儀太夫だったのです。

それまでも大村藩に多大な貢献をしてきた儀太夫ですが、人生最後の大事業となったのが溜池の築造でした。池の完成を見届けた儀太夫は寛文3年(1663)12月、80歳で亡くなりました。墓はJR大村駅の近くの長安寺にあります。

儀太夫が造ったのは野岳湖だけではありません。周辺にもたくさんの溜池を造り、円融寺を建てる費用や長安寺を修理する費用を寄付しました。儀太夫の屋敷は、長崎街道大村宿の本陣(大名や幕府の役人などが泊まったり休んだりするところ)でした。現在の中央商店街の大村浜屋の近くにありました。

野岳湖

儀太夫会館で野岳湖の歴史にふれる

深澤儀太夫勝清

駐車場からアスレチック場の先へ進むと、大きな堤に出ます。湖側には石垣が組まれ、水抜き用の太い木の栓が残されており、当時の築造技術を見ることができます。

野岳湖湖畔にある儀太夫会館では、毎年春になると儀太夫をしのぶ祭りが行われ、その徳はいまも語り継がれています。儀太夫会館には、農具や民具、野岳湖の管理に関する古文書などが展示されており、野岳湖の歴史を知ることができます。

儀太夫が築造した野岳湖は近年、漏水がひどくなり、目下、大改修が行われています。

野岳湖、長安寺、円融寺、旧大村宿には、深澤儀太夫の足跡が残っています。一度、このコースを歩いてみてはいかがですか。

お問合せ先

大村市教育委員会 文化振興課

住所:〒856-8686大村市玖島1-25

電話:0957-53-4111

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