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更新日:2016年1月1日

1-6長崎街道

平成23年3月時点の情報です。

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西洋文明と人が行き交った歴史の道

小倉と長崎を結ぶ230キロメートルの街道

長崎街道は江戸時代に造られた、九州の玄関口・北九州の小倉と海外との窓口・長崎とを結ぶ、全長約230キロメートルの街道です。長崎に入ってきた西洋文明は、長崎街道を通って大坂、京都へ、さらに東海道を経て江戸に伝わりました。一方、東からは、幕府の役人や大名、商人たちが、幕末には維新の志士たちが各地から長崎へやってきました。

有名な人では、江戸時代の日本地図「伊能(いのう)図」を作った伊能忠敬、俳人の小林一茶、漢学者の頼山陽(らい・さんよう)、長州藩士の吉田松陰(しょういん)らがいます。医者のシーボルトは、オランダ商館長のお供をして江戸へ行ったとき、大村を流れる郡川(こおりがわ)を渡る様子を絵にし、著書に書き入れています。

なかでも異色だったのはゾウです。ゾウは質素倹約で知られた8代将軍・徳川吉宗の求めに応じて、長崎から江戸まで旅をしました。

大村宿と松原宿

街道には、いまでいう高速道路のサービスエリアやパーキングエリアのように、一定の距離で宿場が設けられていました。大村市内には、大村宿(現・中央商店街)と松原宿(訪1-10)がありました。

大村宿は、本陣(殿さまの休泊所)や脇本陣(家老などの休泊所)のある大きな宿場で、本町を中心に大村藩の経済の中心地として栄えました。

本町のように、歴史ある町ならではの地名が、いまも残っています。たとえば、萱瀬丁(かやぜちょう)や諫早丁は、萱瀬や諫早へ至る道の始まり。藩の御触れなどを書いた札(ふだ)が立っていた高札場があったので札の丁。古い町名を確かめながら江戸時代のにぎわいを想像して歩くのも、楽しいものです。

松原宿は小さな宿場でした。八幡神社の前には御茶屋があり、殿さま一行がひと休みしていました。まっすぐに延びる昔とあまり変わらない道幅(街道の道幅は約1間半、およそ2.7m)、表通りから裏へ入る細い路地、旧松屋旅館など、古い家並の連なりが宿場の雰囲気をいまに伝えています。

長崎街道

「歴史の道百選」に選ばれた鈴田峠の山道

鈴田峠を挟む山道(鈴田-諫早市破籠井間)は、全国に残っている歴史的な道の中でもとくに優れた道として、「歴史の道百選」に選ばれました。街道の多くは国道や県道などに変わってしまったため、古い景観を見ることはできないのですが、鈴田峠の山道には駕籠立場(かごたてば)などの昔の面影が残っており、それが評価されたのです。

舗装されていない道は少し歩きにくいかもしれませんが、歴史に思いをはせ、多くの旅人が歩いた道を自分の足でたどるのも楽しいものです。

長崎街道藩境

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大村市教育委員会 文化振興課

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