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更新日:2016年1月1日

1-5五教館(ごこうかん)と御成門

平成23年3月時点の情報です。

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九州でもっとも古い藩校

儒教の教えが藩校名になる

江戸時代に、各藩がおもに藩士の子弟教育のために設けた学校を藩校とよびます。大村藩の藩校、集義館は寛文10年(1670)、4代藩主・大村純長(すみなが)によって玖島(くしま)城内に設けられました。

九州ではもっとも古い藩校で、全国でも7番目です。また、幕府の昌平坂学問所より20年早く設立されました。大村藩が各藩に先駆けて教育に力を注いでいたことが分かります。

集義館はその後、静寿園(せいじゅえん)、五教館と名称を変え、場所も天保2年(1831)に城内から本小路(現・大村市立大村小学校)に移されました。

藩校名の五教というのは、儒教の中に出てくる「主君と家臣の間には『義』がある。親と子には『親』があり、夫婦には『別』あり、年長の者と若い者の間には『序列』がある、友人同士には『信』がある」という5つの教えをさします。

身分を問わず、だれでも入学できた

五教館では武士の子どもだけでなく、町人などの子どもにも入学が許されていました。士農工商の身分の違いが厳しかった江戸時代に、こうした教育は珍しいことでした。

6歳ぐらいになると入学が許され、新部屋へ入り、14歳ごろから19歳ごろまでは日勤生として毎日自宅から通学しました。日勤生を修了した者の中で優秀な生徒は、表生としてさらに学問を続けました。

五教館の先生としては、大村藩勤王三十七士の松林飯山(まつばやし・はんざん)が有名です。大村藩以外から招いた先生には、千綿の龍頭泉の名前をつけた豊後
(現・大分県)日田の広瀬淡窓(ひろせ・たんそう)がいます。
大村藩は明治維新で大きな働きをしましたが、その中心的な役割を果たした三十七士のほとんどが五教館で学んでいます。とくに渡辺清・昇兄弟、楠本正隆、長与専斎(ながよ・せんさい)をはじめ、多くの大村藩出身者が、幕末から明治にかけてめざましい活躍をします。これは五教館教育200年の大きな成果といえます。
五教館御成門

新入生と卒業生が通る御成門

大村小学校の敷地の一角に、藩主が来校したときにくぐった御成門が残っており、県指定史跡となっています。この門は五教館の建物のうち、いまも残る唯一の遺構で、黒門ともよばれ大村市民に親しまれています。

大村小学校では、新入生と卒業生が黒門を通る習わしがあります。郷土の先人たちの気風が、現代の子どもたちにも脈々と受け継がれているのです。

お問い合わせ先

大村市教育委員会 文化振興課

住所:〒856-8686大村市玖島1-25

電話番号:0957-53-4111

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