スマートフォン用ページを表示する場合にはこちらをタップしてください

ここから本文です。

更新日:2016年1月1日

1-10松原宿

平成23年3月時点の情報です。

内容についての最新情報、詳細などのお問い合わせは、下記「お問い合わせ」先までお願いします。

江戸時代の宿場町にタイムスリップ

640mの直線に連なる家並

江戸時代に造られた、北九州小倉と長崎を結ぶ約230kmの長崎街道(訪1-6)には、25の宿場町がありました。そのうち、大村市内には大村宿と松原宿の2つの宿場があり、北端に位置する松原宿は南北約640m余りにわたって栄えていました。ここには、殿さまなどが宿泊する本陣や脇本陣はありませんでしたが、通行する際の休憩場として御茶屋が置かれ、幕末には71軒の家々が建ち並んでいたようです。

元上野酒店の漆喰塀(しっくいべい)と松原八幡神社

当時の雰囲気は街道沿いによく残っています。

宿場の中心には十字路があり、右手には御茶屋だった元上野酒屋の漆喰塀と、その奥に松原八幡神社があります。古い記録にも名前が見えるこの神社は、松原の鎮守です。社殿の後ろにある大クスは樹齢1000年以上といわれ、また、鳥居は笠木(かさぎ)や柱に特徴を持つ肥前鳥居とよばれるものです。

毎年11月の「松原くんち」では、奉納相撲や珍しい女相撲甚句などが行われ、多くの出店が並び、見物の人であふれます。かつて松原くんちのときには、家々ではごちそうを作ってお客をもてなす風習があったそうです。

旧松屋旅館

伊東家と旧松屋旅館

十字路の南側には伊東家の五色塀があります。伊東家は、鎌倉時代に源頼朝の家来、工藤祐経(くどう・すけつね)が松原の土地を賜ったとき、その現地管理者として下向してきたと伝わる旧家です。伊東家は松原鎌(知2-2)の宗家として刀鍛冶の技術を伝承するとともに、松原八幡神社の管理も行ってきました。いまも五色塀の大きな屋敷に子孫の方が住んでいらっしゃいます。

シーボルトは『江戸参府紀行』という本の中に、刃物でにぎわった松原の様子を書き残しています。刀鍛冶の技術を引くという松原鎌は、代々鍛冶屋に引き継がれ、いまなお生き続けています。

十字路の西側の角には江戸時代に建てられ、1960年代まで営業していた旧松屋旅館があります。旧松屋旅館では、大村の古写真を展示するなど、現在は資料館として公開されています。毎年夏休み期間中の5日間、松原宿活性化協議会が中心になって、小学生を対象に寺子屋塾が開かれており、元教諭などがふるさとの歴史、習字、工作などを教えています。最近は、長崎大学教育学部の先生や学生達も手伝ってくれるようになったそうです。

十字路から少し南へ行った現在の松原小学校は、むかし庄屋があったところです。

このように松原地区は宿場町の雰囲気が味わえるところであり、ゆっくり時間をかけて散策されることをおすすめします。

お問合せ先

大村市教育委員会 文化振興課

住所:〒856-8686大村市玖島1-25

電話:0957-53-4111

よくある質問