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更新日:2019年1月1日

2-2本経寺(ほんきょうじ)と大村藩主大村家墓所

平成23年3月時点の情報です。

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大村領の宗教転換の歴史を伝える

400年余の歴史ある古刹

本経寺は日蓮宗の寺院で、大村藩主・大村家の菩提寺です。お寺の伝承などによると、いまから約400年前の慶長10年(1605)に創建されています。

戦国時代、大村領ではキリシタン大名・大村純忠(すみただ)のもと、領民全員がキリシタンとなり、ほとんどの神社と寺院は破壊されました。

しかし、江戸時代になり、幕府がキリスト教禁止令を出したため、大村藩でもキリスト教を禁止し、一方で仏教を復活させなくてはならなくなりました。そうして最初に復興された寺院が本経寺です。他の宗派の寺も続々と復興され、大村藩の仏教は再び広められていきました。

日蓮宗を選んだ理由としては、初代藩主・大村喜前(よしあき)と親交のあった肥後(現・熊本県)の加藤清正が熱心な日蓮宗の信者であり、清正の強いすすめがあったといわれています。

境内には本堂や庫裏(くり)、仁王門(におうもん)、鐘楼(しょうろう)など江戸時代後期の建造物が多く残っており、大名家の菩提寺の様子を伝えています。

7mを超える墓塔や細かな細工が施された霊屋など

境内の西側には歴代藩主の墓所があります。墓所には7mを超える墓塔が建ち並び、その規模は2万7000石の小藩としては異例の大きさです。これは、キリシタンであった大村家が、キリスト教を棄て、仏教に改宗したことをアピールするためのものといわれています。

墓石は寺の外からも見え、本経寺のすぐそばを長崎街道が通っていることから、巨大な墓塔はここを通る人の目を意識したことも十分考えられます。

その墓の形も、笠塔婆(かさとうば)、五輪塔(ごりんとう)、宝塔(ほうとう)などさまざまです。とくに石霊屋(いしたまや)は他ではあまり見られない特殊な形で、その細工の細やかさには目をみはります。

このように本経寺や大村家墓所は、大村領が体験したキリスト教から仏教へという江戸時代初期の宗教の転換の歴史を示す場所として、国の史跡に指定されています。

また、表の通りに面した長い白塀は「百間塀(ひゃっけんべい)」とよばれ、その美しい景観から「本経寺白壁通り」として、大村市都市景観賞を受賞しています。

本経寺本堂 (左)笠塔婆(中央)石霊屋(右)五輪塔

お問合せ先

大村市教育委員会 文化振興課
住所:〒856-8686大村市玖島1-25
電話:0957-53-4111

本経寺
住所:〒856-0822大村市古町1-64
電話:0957-53-5510

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